
鹿児島県志布志市には、歴史と自然の神秘が交差する場所があります。それが 「山宮神社(やまみやじんじゃ)」 です。
和銅2年(709年)創建と伝わるこの神社は、天智天皇を主祭神として祀り、古くから地元の人々の信仰を集めてきました。
さらに、境内には日本一美しい枝ぶりと称される 樹齢1300年の「志布志の大クス」 がそびえ立ち、訪れる人々を魅了しています。
この記事では、山宮神社の歴史、見どころ、そしてその神秘的な魅力を詳しくご紹介します。
山宮神社/志布志の大クス pic.twitter.com/YflHw4D1Ks
— シモダグンジ/旅族 (@shantihtown) January 31, 2025
1. 山宮神社の歴史|和銅2年創建の古社
安楽山宮神社としてのルーツ
山宮神社は、別名 「安楽山宮神社(あんらくやまみやじんじゃ)」 とも呼ばれ、
その創建は 和銅2年(709年) まで遡ると伝えられています。
当初、神社は御在所岳の山頂に鎮座していたとされ、
後に現在の場所へと遷座されました。
この地を守る神として祀られるのが「天智天皇」 です。
天智天皇(在位:668年~672年)は、日本の律令制度を整えた歴史的な天皇の一人であり、
その御神徳にあやかろうと、古くから厚い信仰が寄せられています。
また、平安時代末期(1100年頃)には 「銅鏡」 が奉納され、
この銅鏡は現在 国の重要文化財 に指定されています。
神社の歴史の深さを感じる貴重な文化遺産です。
2. 山宮神社の見どころ
① 樹齢1300年の国指定天然記念物「志布志の大クス」
山宮神社の最大の見どころといえば、何と言っても 「志布志の大クス」 です。
この大クスは、高さ約23.6メートル、幹周り約17.1メートル、推定樹齢約1300年 を誇り、
国の天然記念物に指定されています。
また、天智天皇自らが植えたと伝えられ、
その美しい枝ぶりから 「日本一枝ぶりが美しいクスノキ」 とも称されています。
悠久の時を超えてそびえ立つこの巨樹は、まさに 「生命の象徴」 そのもの。
パワースポットとしても人気が高く、訪れるだけで神聖なエネルギーを感じることができるでしょう。
② 文化財としての価値
前述の 「国指定重要文化財の銅鏡」 をはじめ、山宮神社には貴重な文化財が数多く残されています。
神社の拝殿や本殿は、伝統的な神社建築の美しさを今に伝える貴重な存在です。
また、山宮神社はかつて地域の信仰の中心であり、
志布志の歴史を語る上で欠かせないスポットでもあります。
③ 安楽神社との春祭り
山宮神社では、毎年2月の第2土曜日と日曜日に「春祭り」 が開催されます。
この祭りは、志布志市内にある 「安楽神社」 との合同開催で、豊作祈願 を目的としています。
地域の伝統行事としても親しまれており、地元の人々にとって欠かせない年中行事の一つです。
3. アクセス情報
山宮神社は、鹿児島県志布志市の自然に囲まれた静かな場所に位置しています。
住所:鹿児島県志布志市志布志町安楽1520
アクセス:
- JR日南線「志布志駅」 から車で約10分
- 志布志港 から車で約15分
- 鹿児島市内から車で約2時間
拝観時間:自由(24時間開放)
拝観料:無料(御神前の志納を歓迎)
駐車場:あり(無料)
山宮神社の詳細情報|歴史と御祭神
御祭神
山宮神社には、天智天皇(てんじてんのう) をはじめとする、天皇ゆかりの神々が祀られています。
合祀された神々を含めると、以下の六柱の御祭神が祀られています。
- 天智天皇(てんじてんのう) – 白村江の戦いや大化の改新を行い、近江大津宮で即位した第38代天皇。
- 持統天皇(じとうてんのう) – 天智天皇の皇女で、弘文天皇の皇后。
- 弘文天皇(こうぶんてんのう) – 天智天皇の皇子で、大友皇子(おおともおうじ)とも呼ばれる。壬申の乱で敗れた後、天皇として追認された。
- 倭姫王(やまとひめのおおきみ) – 天智天皇の皇后と伝えられる。
- 玉依姫(たまよりひめ) – 天智天皇の第二妃であり、薩摩国頴娃(えい)の豪族の娘。
- 乙姫(おとひめ) – 天智天皇の皇女で、母は玉依姫とされる。
これらの神々が祀られることで、山宮神社は天皇家と深い関わりを持つ神社として知られています。
山宮神社の由緒
山宮神社は、和銅2年(709年)に創建されたと伝えられています。
元々は 御在所岳の山頂 に鎮座しており、そこに天智天皇の霊廟を祀ったのが始まりとされています。
その後、大同2年(807年)には、周辺にあった以下の神社を合祀し、現在の場所へと遷座しました。
- 山口大明神(弘文天皇)
- 若宮神社(持統天皇)
- 中宮神社(玉依姫)
- 鎮母神社(倭姫王)
- 蒲葵御前社(乙姫)
この合祀によって、山口六社大明神 と称されるようになり、現在の山宮神社の基盤が確立されました。
また、志布志には天智天皇が晩年を過ごしたという伝説があり、それにちなんだ地名や史跡が多く残されています。
こうした歴史的背景を持つ山宮神社は、単なる信仰の場を超え、古代天皇家の歴史を伝える貴重な場所となっています。
中世・近世の発展
山宮神社は、中世から近世にかけても大きく発展しました。
- 安和元年(966年) – 神領500町歩の寄進を受け、当時の文献には「御祭百二十四度」と記録されるほど盛んに祭祀が行われた。
- 鎌倉時代 – 新納氏、肝付氏、島津氏などの武将から社領の寄進や社殿の造営修築が行われる。
- 享保19年(1731年) – 朝廷から正一位の神位を授かる。
- 藩政時代 – 48種の祭事が執り行われ、舞殿、観音堂、参籠所、御供所、鐘楼などの建物が備わり、大隅国随一の神社として栄えた。
- 明治2年(1869年) – 廃仏毀釈の影響で現社号「山宮神社」に改称される。
かつて境内には、文永6年(1269年)の年号が刻まれた鐘楼がありましたが、西南戦争の際に供出され、現在は遺されていません。
御神木「志布志の大クス」
山宮神社の境内には、天智天皇の御手植えと伝えられる「志布志の大クス」があります。
この巨樹は国指定天然記念物であり、以下のような特徴を持ちます。
- 高さ:23.6m
- 幹周り:17.1m
- 根回り:32.3m
- 推定樹齢:1300年
その美しい枝ぶりから、「日本一枝ぶりが美しいクスノキ」 とも称され、
昭和16年(1941年)に国の天然記念物に指定されました。
また、幹の内部には大きな空洞があり、大人10人以上が入れるほどの広さを持っています。
かつて、この「大クス」と対になる木が南側にもありましたが、明治26年(1893年)に枯死し、現在は霊域となっています。
枯死したクスノキの根元からは石室が発見され、中世期の鏡・刀・蔵骨器などが出土しました。
その中には、「天皇の御骨灰」と称されるものもあり、現在は御宝物として大切に安置されています。
山宮神社の宝物
山宮神社には、平安時代から江戸時代にかけての貴重な銅鏡が数多く残されています。
その中でも特に重要なのが、**国指定重要文化財「銅鏡 唐草鴛鴦文様」**です。
- 直径24.4cm
- 平安時代末期(1100年頃)
- 藤原時代の和鏡
- 優雅な日本的デザイン
この銅鏡は、日本の鋳鏡技術の頂点を示す名品とされており、
唐草模様と二羽の鴛鴦(おしどり)が極細彫りで描かれた、非常に美しい作品です。
さらに、山宮神社には以下の宝物も収蔵されています。
- 和鏡 21面(平安時代~江戸時代)
- 中国鏡 18面(唐・宋・元・明代)
- 朝鮮鏡 4面
- 懸鏡(神仏習合の御正体) 43面
これらはすべて神社の宝蔵に大切に保管されています。
山宮神社の春祭り
毎年2月の第2土曜日・日曜日 には、山宮神社と安楽神社の合同で**「春祭り」**が開催されます。
この祭りは、地域の伝統行事であり、豊作を祝うために行われます。
特に、「宮廻(みやめぐり)」 というお田植え行事では、
竹串に白紙を挟んだ「稲の穂」を持ち、本殿を三度回り、模擬田にその穂を差す儀式が行われます。
この儀式の間、田の神夫婦が降臨し、豊作・凶作を占うとされています。
また、祭りでは県指定無形文化財「正月踊り」 も奉納されます。
この踊りは、黒装束に身を包んだ青年たちが9つの舞を披露する伝統芸能であり、
その独特の動きと力強いリズムが印象的です。
まとめ
山宮神社は、天智天皇ゆかりの神々を祀る歴史ある神社であり、
「志布志の大クス」や国指定文化財の銅鏡など、貴重な文化財が多く残る神聖な場所です。
歴史好きな方や、パワースポットを巡りたい方には特におすすめの神社です。
ぜひ一度、鹿児島県志布志市の「山宮神社」 を訪れて、悠久の歴史と大自然のパワーを感じてみてください。
この記事を書いた人

旅する雑貨屋/只今島根県津和野町に移住して蜂蜜と森作り
1979年3月生 温泉と焚き火と森林が好きな泳げないうお座ひつじ年。
田舎暮らし、ときどき旅。ときどきイベント出店。
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