ミッチーロークと初めて会ったのはたしか小学生の頃、習字教室でのことだ。
小学校が違うし、習字教室というのは字を書くことを習うための場所であり、
人と仲良くなるための場所ではない。
という空気のためほとんど会話をした記憶はない。
ただ、字はあんまりうまくないな、と思っていた。
次にあったのは小学校高学年になってから始めた空手の道場だった。
彼は数年前から始めていたらしく、すでに帯に色がついていた。
ただ、組手だったらあんまり強くないな、と思っていた。
初めてちゃんと話したのはこのときで、名前を聞くと 「僕、ツヨピ!」 あぁ、ツヨシね。
「すごい!なんでわかったの!?」 という会話だったのを覚えている。
中学校入学、サッカー部に入りたいと思い見学に行くと、
彼は数ヶ月前から入部していたらしくボール拾いをしていた。
それから部活帰りに一緒に寄り道したり、共通の友達の家に泊まりにいって
朝までゲームしたりした。
子供の頃、何か新しいことを始めようとすると既にそこにいるミッチーローク。
ただ、サッカーはあんまりうまくなかった。
やや天然で不思議な少年はその年頃の少年たちにいじられやすい。
北海道生まれのミッチーは標準語(に近い訛り)なのだが、
生まれてすぐに鹿児島に越してきたらしい。
鹿児島弁で話していても全然おかしくないはず。
なのになぜ標準語(に近い訛り)なのかを問い詰められ、
「だってかっこ悪いじゃん」 と言い放ち、その場にいたみんなを怒らせたミッチー。
同じ高校に入学、サッカー部に入部。
その独特のキャラクターでBチームのキャプテン(実際にそんな肩書はないが)の座を不動のものにしていた。
大学受験、彼は滑り止めに受けた大学には落ちたが、大本命の受かればラッキーと思っていた大学に合格。
中二病が発病した頃から仲良くなりはじめ、そこから今まで付き合いは続き、
今ではお互いおじさんになって年に数回地元で会って酒を呑んだりする。
そんなミッチーは数年前、年齢制限ギリギリでボクサーのライセンスを取ることに挑戦して、受かった。
結構長く続いていた彼女とも別れて、間違っても世界チャンピオンになるような器でもないのに、何やってんだ。
という世間の声にも負けず、自分の生き方を自分のリズムで生きているミッチーは素敵だな、と思うのです。
計量をパスして減量が終了して数ヶ月ぶりにお腹いっぱい食べた、という状態のミッチーから電話がきた。
明日のプロ2戦目は西日本新人王トーナメントの第一試合。負けたらそこでプロライセンス終了という試合らしい。
「勝ったらまた連絡する」と言っていたから数日電話がこなかったら数カ月後くらいに電話してみる。
旅する雑貨屋シャンティタウンはミッチーロークを応援しています。
5月9日 17:30~ 豊中市立アクア文化ホール(大阪府) バンタム級 4R 道辻 剛(陽光アダチ) VS. 藤岡 拓弥(江見)
昔から思ってたけど「ミチツジツヨシ」って発音しにくい名前だよね。
この記事を書いた人
1979年3月生 温泉と焚き火と森林が好きな泳げないうお座ひつじ年。
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