山頭火

私の憧れ、旅人 種田山頭火の俳句や日記の中で書かれている言葉の中でも特に大好きなものを紹介します。

この旅果もない旅のつくつくぼうし 山頭火 旅の名句

– どうしようもないわたしが歩いてゐる
– まつすぐな道でさみしい
– けふもいちにち風を歩いてきた
– また一枚脱ぎ捨てる旅から旅
– あるけばかつこういそげばかつこう
– うしろすがたのしぐれてゆくか
– 笠にとんぼをとまらせてあるく
– 分け入つても分け入つても青い山
– また見ることもない山が遠ざかる
– 鈴をふりふりお四国の土になるべく
– わかれて来た道がまつすぐ
– 旅の法衣がかわくまで雑草の風
– わがままきままな旅の雨にはぬれてゆく
– この道しかない春の雪ふる
– 何を求める風の中ゆく
– 木かげは風がある旅人どうし
– やっぱり一人がよろしい雑草

道は前にある まっすぐに行こう 山頭火随筆集

『あなたは禅宗の坊さんですか。……私の道はどこにありましょうか』
『道は前にあります、まっすぐにお行きなさい』
私は或は路上問答を試みられたのかも知れないが、とにかく彼は私の即答に満足したらしく、彼の前にある道をまっすぐに行った。

道は前にある、まっすぐに行こう。――これは私の信念である。
この語句を裏書するだけの力量を私は具有していないけれど、この語句が暗示する意義は今でも間違っていないと信じている。

道は前にある、まっすぐに行こう、まっすぐに行こう。

草木塔 山行水行

山あれば山を観る
雨の日は雨を聴く
春夏秋冬
あしたもよろし
ゆふべもよろし

私はまた旅に出た、愚かな旅人として放浪するより外に私の行き方はないのだ。 行乞記

このみちや
いくたりゆきし
われはけふゆく

私はまた旅に出た。
所詮、乞食坊主以外の何物でもない私だつた、愚かな旅人として一生流転せずにはゐられない私だつた、浮草のやうに、あの岸からこの岸へ、みじめなやすらかさを享楽してゐる私をあはれみ且つよろこぶ。
水は流れる、雲は動いて止まない、風が吹けば木の葉が散る、魚ゆいて魚の如く、鳥とんで鳥に似たり、それでは、二本の足よ、歩けるだけ歩け、行けるところまで行け。
旅のあけくれ、かれに触れこれに触れて、うつりゆく心の影をありのまゝに写さう。

山頭火ってどんな人?

種田山頭火(本名:種田 正一)は、日本の自由律俳句界を代表する俳人であり、1882年12月3日に山口県で生まれました。生涯を通じて、1万2000余りの俳句を詠み、その作品は今もなお多くの人々に愛されています。彼の俳号「山頭火」は、彼自身が気に入った納音から選んだもので、その名前には「火葬場の火」という意味も含まれています。山頭火が11歳の時、母親が自宅の井戸に投身自殺するという悲劇に見舞われました。この出来事は彼の人生と作品に大きな影響を与えたと考えられています。この出来事は彼が自叙伝を記述する際に、「我が家族の不幸は母の自死に始まる」という言葉で綴られるほど、彼の心に深く刻まれています。若い頃はツルゲーネフに傾倒し、翻訳活動も行っていましたが、家族や社会との複雑な関係の中で、弟二郎の自死などからしばしば酒に溺れていきました。

山頭火は、自由律俳句を用いて、旅と自己探求の日々を詠んでいます。その俳句は、厳格な五・七・五の構成を逸脱し、季語を用いないことも多い、自由な形式を採用しています。彼の代表作には、旅の途中で出会った風景や心情を綴ったものが数多くあります。有名なのは「分け入つても分け入つても青い山」や「どうしようもないわたしが歩いてゐる」といった句があります。

彼の作品と人生を深く理解するには、山頭火自身の過去と彼が遺した日記や俳句に目を向けることが重要です。山頭火は、自身の苦悩や家族との複雑な関係、そして社会に対する独自の見解を作品に反映させています。彼の日記には、家庭や人間関係に対する鋭い洞察が記されており、「家庭は沙漠である」というような言葉で家族間の理解の難しさを描いています。

1923年(大正12年)41歳の時、山頭火は関東大震災に遭遇しました。この震災の混乱の中で社会主義者と間違われ憲兵に連行され、巣鴨刑務所に一時留置されました。
1924年(大正13年)42歳の時、熊本市内で泥酔し、市電を止めて乗客に取り囲まれる一幕があり、知人の記者・木庭徳治に助けられました。
1925年には熊本市の曹洞宗報恩寺(千体仏)の住職・望月義庵に預けられ、「耕畝」という名を受け、その後は各地を放浪しながら俳句を詠む生活を送りました。彼の放浪生活は、過去を清算し、新たな句作への心情を綴った日記にも反映されています。
1930年以降の放浪日記は彼の生涯の一部を明らかにしており、これらの記録は彼の死後に公開されました。

彼の生涯は「無駄に無駄を重ねたような一生」と自ら振り返っていますが、その中から生まれた句は多くの人々に感動を与え続けています。
山頭火は1940年10月11日、愛媛県松山市にて生涯を閉じました。享年57歳。彼の墓所は防府市の護国寺にあります。

津和野から近いから今度お墓参りに行ってみようと思います。

山頭火ふるさと館 山口県防府市

〒747-0032 山口県防府市宮市町5−13 山頭火ふるさと館