インドへ
2001年インドの旅。最初の東アフリカ旅行から2年が経とうとしていた。喉元すぎれば熱さを忘れるとは良く言ったもので、最初の旅の直後には「もう旅はお腹いっぱい。次は10年後くらいにまた行けたら良いな」なんて思っていたはずが、これはなんということだろう。初めての旅で出会った、何人かの愚かで狂った哀れな「旅人ウィルス」に感染した人たち。あんな風にはなれないし、なりたくもないと思っていたあのビョーキの人たち。僕もそのビョーキの人たちが感染したのであろう、恐怖の「旅人ウィルス」に感染していたのだった。最初の旅で、移動の暇を潰すため、孤独を忘れるため、読書をするようになった。帰国してからもその癖は残っていて、興味の赴くままに読んだ。その中の一冊が横尾忠則の「インドへ」で、その本を読んでしまったカルマでインドへ旅に出ることになった。この本にあった、横尾忠則さんが三島由紀夫氏に言われたという「インドへは行けるものと行けない者がいて、行ける時期もカルマによって決定される」という強烈なワンフレーズが僕を二度目の旅へ、よりによってインドなんかへ誘うことになる。
カシミール シュリナガール
カシミールは「カシミア(カシミヤ)」で知られるウールの名産地。この辺りでのお土産の代表といえば、高級織物カシミアのストールなどで、「カシミア」はこの地域原産のカシミアヤギの毛から作られたことが由来。インドとパキスタンの国境付近で、紛争地にあるためか、警察と軍隊が多いイメージ。あとカシミールカレーはスパイスたっぷりで辛いイメージ。そして何よりも子どもたちがかわいくって、今もこの旅の写真で手元に残ってるのはカシミールの子どもたちと山奥で修行しながらガンジャをキメている数枚のサドゥーだけだ。
インドへ旅するカルマの件
「インドへ」を読んでインドへ行ってみたは良いが、横尾忠則さんがこの本を書いたのはもう数十年前のことで、本に描かれていたインドの様子とはもう随分変わっていた。ガンジス川を上流に沿って辿って行きついた源流、聖地ゴームク(牛の口)、そこで出会った世捨て人のようなサドゥーや旅人。そんな場所まで団体でやって来るカーストの高いお金持ちの人々。カオス。インドの本質的なところへ辿り着いた気は全くしない。カルマで呼ばれた気もしない。僕はインドに呼ばれた訳ではなく、旅にハマった訳でもなく、東アフリカが好きになっただけかもしれない。そう思い、僕は二度目のケニアへ行く。その後、育児のためにインドへやって来るとはこの時思いもしていないし、人生って不思議なものですね。でも旅は続く。
この記事を書いた人
1979年3月生 温泉と焚き火と森林が好きな泳げないうお座ひつじ年。
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