インド旅行【ダライラマ法話会 ダラムサラ/マクロードガンジー観光】

ヨガを本格的にやりたい妻のためにアシュラムに部屋を確保、せっかくのインドなのにヨガもしない僕がリシケシにいてもあまり意味もないということで、軽く北インド一人旅へ。ダラムサラとマナリまで行くことにした。行き方はスイスコテージの愛さんに教わって鉄道とバスで行くことにした。

ダラムサラー
ヒマラヤの麓、ダラムサラへ

ダラムサラへの行き方

列車で行く場合、最寄り駅はチャキバンクかパタンコート。パタンコートからバスでダラムサラへ。デリーからだと夜行列車で12-13時間。ダラムサラにも空港があって、ニューデリーとチャンディーガルから便数少なめだがフライトあり。

ダラムサラ観光

列車とバスを乗り継ぎ、バスターミナル到着。ダラムサラは北インド、ヒマラヤ山脈の麓に位置するヒマーチャル・プラデーシュ州の標高1457mにある都市。「ダラムシャーラー」とはヒンディー語で「法の家」という意味。「リトル・ラサ」とも呼ばれるチベット亡命社会の中心地であり、ダライ・ラマ法王の講演や法話会に参加できる場所としても有名で、ダライ・ラマをひと目見るためだけにやって来る旅行者も多い。

ダラムサラ
ダラムサラ到着

マクロード・ガンジー

ダラムシャーラーの郊外の標高2082mの山間にあるマクロード・ガンジーは、多数のチベット難民が暮らすエリア。1959年、中国人民解放軍がチベットを軍事制圧したチベット動乱が発生。この時にインド政府はラサを追われたダライラマ14世に対し、ダラムサラの避暑地の一角「マクロード・ガンジー」を提供。翌年1960年にチベット亡命政府が発足して以来、亡命チベット人の多数が生活、今では6000人がダラムサラに暮している。ここはかつてイギリスの支配下にあった時代に、イギリス人がピクニックを楽しむための場所だったらしい。

ダラムサラー

ダライ・ラマ14世のティーチングへ

僕もちょうど良いタイミングでダライラマ法王の法話があるという時期だった。せっかくなので参加させていただくことにした。情報収集は日本人レストラン「ルンタ」で。お店で知り合ったおばさんがしょっちゅうダラムサラに来ているダライ・ラマの熱狂的ファン(自分でも追っかけみたいなもんと言っていた)だったので全部教えてもらって流れのままに。英語で同時通訳された法話を聴くためのイヤホンも借りたのだが、僕の英語力側が受信できず、まさしく馬の耳に念仏といった状況だった。

ダラムサラー
ダラムサラー

ダラムサラはチベット人が多く歩いているため、しばらくこってりインド人しか見ていなかった状態で立ち寄ると、久しぶりのモンゴロイドに懐かしさと安心感を感じるし、しかも美味しいと評判の日本食料理屋さんもあるため、予定のない旅人の場合、うっかり長居してしまう町である。チベット仏教寺院でマニ車(チベット仏教の仏具 チベット後でマニコロ)を廻していたら一週間経ってました、みたいな。僕のおすすめチベット料理はモモというチベット風ギョウザ。リシケシではお酒が禁止されていて飲めなかったので、モモをつまみに久しぶりのビール。こんな遠くまで来てそれに幸せを感じる僕は、マニ車を何周回そうが、所詮俗世の凡夫である。

チベット風餃子 momo(モモ)
KING FISHER(STRONG)

おすすめ日本食レストラン

Lung Ta(ルンタ)インド一安くて美味い日本食料理屋さんと呼ぶ人もいた。

久しぶりの日本食。外でも食事できる。

ホテル

ダライ・ラマの法話直前に着いてしまったため、数日間はやや高めのホテル(とはいえ安宿)、法話が終わった数日後、眺めが良い安宿に移った。ゲストハウスの隣には小学校があって、時々チベット語の歌が聴こえてきて心地良かった。

ダラムサラ安宿
ゲストハウス 窓からの景色

この記事を書いた人

1979年3月生 温泉と焚き火と森林が好きな泳げないうお座ひつじ年。

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